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時の過ぎゆくままに・・・歯科医のつぶやき
 
−2012年5月7日−
「医院長、今−昔」(その7:むかしバージョン・第7回)
 平成8年8月(32歳) 福岡・博多・九州大学にて。
母校の、九州大学です。100周年を境に、移転・総合再開発が進み、私の、学生時代とは、面影も、少し変わってきました。
学生時代には、まだ、大正時代の荘厳な建物を使用していました。
おいおい、“レトロ・アンティーク九州大学”も、紹介する予定です。
写真


(1)九州大学 馬出病院地区
 (馬出:“マイダシ”と読みます)
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(2)九州大学 旧整形外科病棟 
 歯学部の講義棟として、私の学生時代は使用されていました。
 ちなみに、旧第一外科病棟(あの、“ヴィヴァセクション”で、有名?)は、この隣にあり、学生当時、ロッカー室として、まだ、現役でした。

写真

(3)九州大学 本部地区(箱崎:ハコザキ)
 左斜め後ろの、グレーの建物(大正期に設立)の、2Fにて、共通1次(現;センター試験)を受けました。
 当日、雪がしんしんと降る中、寒さを堪えて、受験したのが、懐かしく思われます。
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−2012年5月3日更新−
「医院長、今−昔」(その6:むかしバージョン・第6回)
 平成8年8月(32歳) 福岡・大宰府天満宮 にて。
 大宰府天満宮は、『学業の神様』として、有名です。
 母方の実家が、二日市(大宰府)にあり、大宰府天満宮には、幼少のころより、ちょくちょく、遊びにいっていました。
太宰府天満宮
大宰府天満宮HPへ

写真 (1)太宰府天満宮:太鼓橋・心字池

 亡き母(1年後に、火災で、亡くなった。享年59歳)との、ショット写真。太鼓橋・心字池。
  
写真 (2)飛び梅

 菅原道真
『東風吹かば にほひおこせよ梅の花
     主なしとて 春な忘れそ』       
 
写真 (3)大宰府天満宮のおみくじ

 『30円』という値段が、当時を偲ばせます。平成24年現在は、100円になっていました。
 
写真 (4)大宰府天満宮の定番ともいえる、『合格鉛筆』
 
写真 (5)梅ヶ枝餅(うめがえもち)
 小豆餡を薄い餅の生地でくるみ、梅の刻印が入った鉄板で焼く焼餅である。出来上がると軽く梅の刻印が入るようになっている。その名称は菅原道真公のエピソードに由来しており、梅の味や香りがする訳ではない。よくまんじゅうと勘違いされることがあるが、実際は餡子入りの焼餅である。
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−2012年5月2日更新−
「医院長、今−昔」(その5:むかしバージョン・第5回)
写真 写真
平成8年10月(33歳)【結納:群馬ロイヤルホテル】

 さて、いよいよ、“年貢の納め時”(?)……
 いや、すばらしい出会いに感謝です!

 足立の歯医者さんを辞めて、ベンチャー企業の後押しで、歯科医院を全国展開する、夢に満ち溢れていた時代です。

 足立から、高田馬場(下落合)に引っ越し、勤務先も、池袋・六本木と、都心に進出しました!
 よく、家内は、ついてきてくれたな〜と感慨、ひとしおです。
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−2011年12月15日更新−
「医院長、今−昔」(その4:むかしバージョン・第4回)
写真
    【平成8年;上野公園で花見】(32歳)
 『カワサキ君。今から、花見に行くぞ!』いきなり誘われて、お伴させて頂きました。
 (毎回でしたが……。呼出しには、絶対服従です。)
 たしか、自転車で、上野まで、サイクリングだった、記憶があります。
 メガネは、“ダテメガネ”です。
 穏やかな、春の陽気の中で、乾杯!
 写真中央:恩師の院長先生(足立区)
 現在は、リタイアされて、ゆっくりとなさっているらしいです。
 左、近所の歯医者さん。今考えると、院長は、まわりの先生とのつきあいもよかったのです。
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−2011年12月13日更新−
「医院長、今−昔」(その3:むかしバージョン・第3回)

写真
    【平成8年頃】 (32歳)
 これまた、東京に出てきて、ちょっと落ち着いた頃。
 スーツを着て、お出かけです!
 レストランでのワンショット。
 東京タワーの近く。(六本木)。
 田舎(博多)からすると、東京はとても刺激的な街。
 渋谷・新宿・池袋など、ちょくちょく、出没していました。

写真
   【平成7年頃】 (31歳)
 箱根旅行 『ハイ、ビールで乾杯』です!
 気楽な(?)楽しい、勤務医時代でした。
 まさに、新天地;東京で、水を得た魚!
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−2011年12月10日更新−
「医院長、今−昔」
(その2:むかしバージョン・第2回)

写真
   【平成7年頃】 (31歳)
 東京に出てきたての頃。勤め先の足立区の歯科医院でのショット。
 大学の同級生(=写真中央)の紹介で、東京にやってきました。
 歯科衛生士学校の学生さんと高校生の歯科助手のバイトの女性。
 当時、診療・仕事が終わってから、みんなで、ちょくちょく、食事にいったものでした。
 将来について熱く語っていました……
 東京に出てきて、夢いっぱいの頃です。

写真
    【平成7年頃】 (31歳)
 足立の院長先生は、とても面倒みのいい、先生でした。
 休みの日には、スタッフを連れて、ハイキング・旅行によく連れていってもらいました。
 自然といそしむのを、大切にしていました。
 スタッフとのハイキングの写真です。
 歯科の知識・技術だけでなく、礼儀作法・人と人との繋がり
まで、きっちりと、教えてもらいました。

 “優しい”のですが、とても“厳しい”院長でした。

ちなみに、この大学の同窓の先生(=写真中央)は、今は、とても、有名になっています!
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−2011年12月1日更新−
「医院長、今−昔」
(その1:むかしバージョン・第1回)

     写真
   【平成9年頃】 (33歳)

 東京に出てきて、1年めくらいの写真。当時、ベンチャー企業のバックを得て、東京(六本木)・大阪(梅田)など、歯科医院を全国展開しようなどと、雇われの院長時代。東京〜大阪間を、飛び回っていました。
若かったんでしょう!元気あまりあふれる時代です。結婚したての頃です。

 

写真
   【平成15年頃】(39歳)
   お台場の遊覧船の上で。

 当時は、法人化、事業成功。クリニックを3件やっていました。ストレスがたまり、暴飲・暴食。メタボへの道を歩みはじまめした?タバコもプカプカ、1日に3箱のヘビーすもか―でした。20年ちかくタバコとお付き合いしましたが、7年前に、スパッと禁煙。それ以来、たばことは、バイバイです。
 禁煙支援も、やります。そのうちに、成功談のお話もします。
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