(4)仁丹歯磨き 1945年(昭和20年)12月、本社焼け跡にバラックの工場を建て、粉ハミガキの生産を再開。原料のカルシウムはどうにか入手できた。この時期、生活必需品であるハミガキは作りさえすれば売れた。仁丹の製造が不可能な状況の中で、粉ハミガキは救いの神となった。 <画像拡大> 薬歯磨;粉歯磨きの外袋 <画像拡大> 東京・浅草大広告塔(昭和29年再建) ≪トップへ ≪前へ ≫次へ