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−2013年7月13日−
【花シリーズ切手(7月)ゆり(その3)】 |
(逓信協会郵便文化部発行;MCカード)
優しい微笑みをなげかける、この美人看護婦のモデルは誰だろう…?
あまりに魅力的な「日本赤十字社創立75年」記念切手は、発行から50年以上の間、収集家諸氏の想像力をかきたててきました。
ドイツ型美人と称された三宅邦子、昭和の映画を代表する原 節子、早世した桑野通子…といった往年の美人女優の名が、モデルとして噂されています。
原画を描いたのは、日本洋画界の重鎮・宮本三郎でした。
看護婦の制服については、日赤提供の写真(下)を資料として用いたようです。
宮本画伯のご遺族の話では、1930年代ならば、上記の女優さんたちがモデルとして、よくアトリエを訪れていたそうですが、この原画が描かれた年代(1952年)を考えると、女優モデル説にはやや無理があるのかも…。
でも、神秘のヴェールに包まれれば包まれるほど、その微笑みはより謎めき、より魅惑的なものに思えるのです。
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モデルに噂された一人、女優の桑野通子の古い絵はがき。
抜群のプロポーションと明るい笑顔で、戦前の銀幕を華やかに彩りました。
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宮本画伯が切手原画を描く際に、実際に参考にしたと考えられる当時の「日本赤十字看護婦制服」の写真。 (資料提供:日本赤十字社『日本の赤十字』より)
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『スタマガネット』(郵趣サービス社)の、“切手でトリビア”から引用。
>『スタマガネット』(郵趣サービス社)の、“切手でトリビア”
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−2013年7月7日−
【花シリーズ切手(7月)ゆり(その2)】 |
ゆりの花言葉としては・・・
「強いから美しい」(ヒメ百合)
「威厳、甘美」(ヤマ百合)
「貴重な、稀少」(百合)
「純潔、甘美、威厳」(鉄砲百合)
などの意味があります。
美しい清楚な図案と相まって、日本でも、切手としての題材には持ってこいです。
日本(琉球)切手のいくつかを紹介します。
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1 日本 : 普通切手
1982年(昭和57年)7月5日発行『てっぽうゆり』
銘版と、CM(カラーマーク)上・下つき。
収集家は、この切手の耳紙の部分までこだわって集めています。同じ切手でも、銘版やCMがあると、 何十倍も値段が異なる切手もあるほどです。
【CM(カラーマーク)とは・・・】
1962年から、イギリスは、色の脱色を検査する「カラーマーク」を、A部分だけではなく、切手シートの耳紙の上にも印刷するようにした。この切手は何色で印刷されているのか、がわかる。これで、もっと切手集めを楽しんでもらい、もっと切手に興味や関心を持ってもらい、売上を伸ばそうという考えが読み取れる。イギリスでは、信号機のように見えることから、「トラフィックライツ」と呼ばれる。この試みをきっかけに、各国・地域で、「カラーマーク」を切手シートの耳紙に入れることが浸透していった。そして、各々の印刷所で、それぞれ独自の形状の「カラーマーク」が耳紙に印刷されている。日本では、1975(昭和50)年10月6日発行の国際文通週間切手に、初めてカラーマークが入れられた。
「カラーマーク」は本来、印刷の色もれがないかをチェックするために入れられたものである。しかし、切手シートの耳紙に入れられた「カラーマーク」は、この印刷物の品質管理をするためのもとはいいがたいのである。
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2 日本 : 記念切手
1952年(昭和27年)5月1日『日本赤十字創立75年』
銭位から円位に代わってからの初めての記念切手。
当時は、耳紙の題字もレトロ・重厚な文字体であった。 |
(赤十字とヤマユリ)
(看護婦) |
3 琉球切手
(1)普通切手;1948年(昭和23年)7月1日『ヤマユリ』(10銭・40銭)
40銭切手の耳紙部分には、罫線が印刷されている。
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(2)記念切手;1966年(昭和41年)6月23日『慰霊の日』(戦跡と鉄砲ユリの花)3セント
【琉球切手とは・・・】
1945年のアメリカ軍の沖縄占領から1972年5月14日の本土復帰までに沖縄で発行された切手を指す。「琉球郵便」という文字が入っている。
1948年7月1日に7種の切手の発行から本土復帰(1972年)までの27年間に248種が発行された。日本語で印刷されていが額面は(途中から)アメリカの通貨である$(ドル)¢(セント)。その題材には沖縄の伝統芸能や民族行事、工芸品、亜熱帯の動植物など、沖縄の自然、歴史、文化が幅広く取り上げられ、色鮮やかな切手は今も人々を魅了し続けている。
一部の例外を除き、沖縄切手は日本の大蔵省印刷局(現在の国立印刷局)が印刷していた。
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−2013年7月2日−
【花シリーズ切手(7月)ゆり】 |
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ユリの言語は花が大きく、茎が細いので、揺れる<ユラ>からきているそうです。漢名の<百合>は球根の鱗片が数多く重なり合っているところからきています。
東洋ではユリは食用や薬用に使用されています。。
日本で、花の観賞が盛んになったのは、明治後半です。
幕末に、医師;シーボルトが日本のユリの球根を持ち帰り、復活祭に用いられるイースター・リリーとして大流行しました。ユリの球根は近代日本の絹に次ぐ二番目の主要輸出品として外貨を獲得します。
なお持ち帰られたのはテッポウユリ(琉球原産)であり、現在のイースターの象徴として定着していきました。そして日本に逆輸入されるかたちで明治末に鑑賞花として流行しました。
キリスト教においては白いユリ(マドンナ・リリー)の花が≪純潔≫の象徴として用いられ、聖母マリアに捧げられています。天使“ガブリエル”はしばしばユリの花をたずさえて描かれています。 |
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昭和36年7月15日;FDC≪横須賀郵便局≫ |
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≫医療法人社団博成会川崎歯科クリニックHP |